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誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

ふとい眼鏡のブログ「誰かが言わねば」のもくじ的なもの

ブログを開始して一年が経過しましたが、これから先はしばらく更新が休みがちになってしまうかと思います。
そこで、とりあえず今までにブログで公開した文章の目次にかわるものを作ってみました。(ハフィントンポストに転載された文章の一部は転載先にリンクしています)

 

・ふとい眼鏡が特に読んでほしい文章の一覧

あなたが愛に満たされていない理由(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/story_b_5377594.html

愛とか神とか、そういったウソについて(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/story_b_5586422.html

あなたが人を殺す可能性について
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140224/1393236059

日本人が太平洋戦争を総括できなかった理由と裸の大衆
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140526/1401076882

誰も責任を負わない腐った組織について
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140528/1401249669

日本の社会がゆっくりと息苦しくなっていくメカニズム(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/society_b_5271420.html

子供のイジメがなくならない原因(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/bullying_b_5303967.html

 

・ブログでの閲覧数が多かった文章の一覧

男性の多くが結婚生活に幸せを感じられないでいる
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20141118/1416283280

結婚しない人が増えた原因のひとつが見過ごされている
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20141111/1415678493

日本人は凄いという内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになる
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140604/1401854474

日本の起業率が上がらない理由
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140415/1397540751

資本主義世界に寄生する共産主義者達
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140402/1396418470

官僚批判には意味がない、問題は地方公務員の人件費だ
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140331/1396245784

女の上司に指図されるような男ってどうなの?
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140120/1390205379

 

・転載先のハフィントンポストで閲覧数が多かった文章の一覧

あなたが人を殺す可能性について(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/homicide_b_5181408.html

右傾化する人達が根本的に分かっていない一つの事実(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/conservative-swing_b_5387278.html

右傾化のメカニズムを三段階に分けて説明(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/conservative-swing_b_5402006.html

「素直に嬉しいです」と言ってしまうかわいそうな若者達(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/young-man_b_5826734.html

社会的起業を志す世代の不気味さとその限界(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/social-enterprise_b_5261917.html

日本の社会がゆっくりと息苦しくなっていくメカニズム(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/society_b_5271420.html

子供のイジメがなくならない原因(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/bullying_b_5303967.html

他人に与える印象は「様子」で決まる(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/communication_b_5184889.html

男性の結婚適齢期について(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/marriage_b_5562482.html

共働き家庭が幸せそうには見えていないという話(ハフィントンポスト転載)
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/both-working_b_5645045.html

 

・閲覧数が少なくて、もっとたくさんの人に読んでほしいと思っている文章の一覧

あなたが愛に満たされていない理由
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140204/1391515286

恋愛に障害がなくなり私達は不幸になった
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140730/1406692887

愛とか神とか、そういったウソについて
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140527/1401163281

正直に言うと「真実の愛」なんて見たこともない
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20141126/1416974527

日本の離婚率が上昇しつつある理由
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20141105/1415160093

専業主婦が家事を通して夫を虐げる理由
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140804/1407124878

自称「スキのない女」がモテない理由は別にある
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140722/1406001675

豊かになるほど子供が減るのはなぜか
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140617/1402977680

競争能力の低い男性は世の中に必要ないのか?
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140603/1401767273

「よりよい社会」の定義を考える
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140529/1401343401

着ぐるみに歓声をあげる不気味な日本人
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140710/1404964869

「あなたはあなた、そのままのあなたでいい」という安っぽいウソについて
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140217/1392607154

日本人が太平洋戦争を総括できなかった理由と裸の大衆
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140526/1401076882

誰も責任を負わない腐った組織について
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140528/1401249669

以上、たくさんの方に読んでいただけましたら幸いです。

 

ふとい眼鏡の電子書籍

「愛というストレス、幸せという強迫」(アマゾン Kindleストア)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00C4QWYNY

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正しい移民の受け入れ方とは

厚生労働省は持続可能な社会保障制度を提示することができずにいます。その原因は厚生労働省の怠慢でも能力不足でもありません。そもそもの話として、人口が急激に減少していく中で社会保障の水準を維持する方法はありません。第二次ベビーブーム世代の女性がすでに出産適齢期を過ぎてしまった以上、今さら少子化対策を行っても人口減は防げません。少子化対策は無駄ではありませんが、今から少子化対策を行っても人口減のペースを緩めることができるだけで人口減を完全に防ぐことはできません。つまり今は「移民を受け入れるべきか否か」を議論する段階ではなく、すでに「どのように移民を受け入れればよいのか」を検討するべき状況なのです。

我々にはすでに、移民を受け入れて社会保証制度や経済規模を維持する以外の選択肢はありません。移民を受け入れずに経済が縮んでいく中で維持できる社会システムを構築するべきだと主張する人もいますが、残念ながら経済が急激に縮んでいく中で維持できる社会保障制度というのは存在しません。経済規模が縮小すれば納税者や社会保障の負担者が減り、一方で社会保証の受給者は高齢化の影響で増え続けます。すでに赤字が常態化している国家財政はさらに悪化し、いずれは破綻してしまいます。そうなる前にゆるやかに移民を受け入れ始めるしか手段はありません。

あまりにも多くの移民を受け入れてしまうと治安の悪化や民族間の対立、文化の衝突が起こってしまうのではないかと危惧する人がいますが、私も同感です。なんでもかんでも移民を受け入れる、というやり方には賛成できません。
日本人はどちらかというと頑なに自分達の文化を守ろうとする民族です。そこに頑なに自分達の文化を守ろうとする他民族を受け入れるというのは現実的ではありません。

では、移民の受け入れにはどういうやり方があるのでしょうか。
移民の話になると最初に議論されるのが高度なスキルを持った人材を移民として受け入れるという話です。しかし残念ながらこのやり方にはあまり意味がありません。なぜなら現在の日本は、高度なスキルを持った外国人をひきつけるほど魅力的な場所ではありません。もし所得税相続税を安くして財産の多い外国人や所得の高い外国人を呼び込んだとしても、そういった人達が日本に居ついてくれる保証はありません。彼等はより条件の良い国を見つけたらあっさりと出て行ってしまいます。
それに移民には移民の出生率があります。たとえば出生率3.0の地域の人々は出生率1.5の地域に移住しても、二世代目までは出生率3.0を維持するということです。アメリカ合衆国の人口がなかなか減らないのはメキシコからの不法移民の出生率が高いからだといわれています。(不法移民ですから正確な統計は存在しませんが)

受け入れる移民の第一世代が少なければ少ない程、民族間の対立や文化の衝突の規模も小さくてすむことが予測されます。将来の人口減を防ぎ、なおかつ受け入れる移民の人数をできるだけ少なくするためには、出生率の低い地域や集団からは移民を受け入れずに出生率の高い地域や集団からの移民だけを受け入れるべきでしょう。

具体的にどうやって移民を受け入れていくのかということについても、あらかじめ明確な戦略を練る必要があります。いったん受け入れた移民にやっぱり帰ってくれというわけにはいきませんから、移民の受け入れは慎重に行わなくてはいけません。大きな問題が起こらないように慎重に、たとえば試験的に少ない人数の受け入れからはじめて徐々に受け入れる人数を増やすというような工夫が必要になります。

文化の根本の部分を維持しながら移民の文化との融合を図るためには、頑なに自分達の文化を守ろうとする人達ではなく、他文化との交流や融合を受け入れることのできる人達だけを選択して受け入れていく工夫も必要になります。厳しい宗教的戒律を持っている人々や選民意識を持っている民族を受け入れることは避けるべきでしょう。
移民との間に文化的な対立や暴力的な対立が起こることはお互いにとって不幸なことです。新しい不幸を生み出さないためにはたとえ差別的と批判されても、こういう属性を持っているグループは受け入れるがこういう属性を持っているグループは受け入れないといった選択をする必要があります。移民の受け入れには「他の文化との融和に寛容で出生率が高いグループだけを選択して受け入れていく」「試験的にいくつかのグループからそれぞれ少数の人を受け入れて、問題が少ないグループだけを選んで受け入れ人数を拡大していく」といったような明確な戦略が求められます。

あなたはどう思いますか?

幸せになれる確率が低いのには理由がある

現在、日本の離婚率は35%にのぼります。さらに結婚生活が事実上破綻したまま離婚せずに暮らしている人や結婚生活に解決不可能な不満を感じている人をあわせれば、少なくみても半分以上の人が結婚生活に失敗しています。
もし結婚に失敗している人の割合が5%なら、その5%の人達に問題があるのかあるいは努力が足りないのでしょう。しかし全体の半分もの人達がうまくいかないという場合、それは一人ひとりの個人に問題があるのではなく、社会のシステムやルール、常識の側が間違えていると考えるべきではないでしょうか?

現在の結婚制度には、そもそも人間の自然な欲求からずれている部分や世の中の変化についていけていない部分が多くあります。なぜ、そんな制度が作られたのでしょうか?そしてなぜ、そんな制度をムリに維持しているのでしょうか?

かつての民主的でない社会では、世の中のルールの多くは権力者の側の都合でつくられました。
たとえば封建制の社会では、ルールをつくる側の一番の目的はできるだけ多くの税を集めることでした。そのためには平和で安定した社会と一人でも多くの納税する人間が必要でした。
徴税と犯罪防止のためには正確な戸籍がなにより必要でした。戸籍があれば誰が犯罪者なのかが分かりやすいですから犯人を捕まえやすいですし、捕まる確率が高いと思えば罪を犯す人も少なくなります。戸籍があれば納税者の人数や居場所を正確に把握することができるので、税金を取り損ねることも少なくなります。
さて、戸籍を作るためには誰が誰の子なのかが分からなければいけません。一人の男があちこちの女性に子供を産ませていたり、女性が父親の分からない子供を産んでいたり、産まれた子供がどこに行ったのか分からなかったり生きているのかすら分からなかったりすると戸籍はつくれません。そこで封建時代のヨーロッパの権力者は宗教を利用して倫理観を説きました。一組の男女が一生連れ添うのが人間の正しい姿なのだとする宗教や宗派を使って国民にそう思いこませたのです。これは最初から権力者の都合でつくられたルールであって、一人ひとりの幸せのためにつくられたルールではありません。封建制の社会では、多くの分野で、国民一人ひとりの幸せよりも社会全体の安定を優先して社会のルールや倫理感、常識、礼儀などがつくられました。
より安定した社会を築くために封建時代の権力者は人間本来の生理的欲求とか自然な願望とかを無視して、まず理想的な人間像を人工的につくり出しその理想的な人間像を前提にルールをつくります。彼等が悪魔的に巧みだったのは人間が思い描く「自分自身の理想的な姿」を利用した点です。人は誰しも、より理想的な人間でありたいと願う真面目な気持ちを多かれ少なかれ持っています。たとえば世の中の男性は、女性を本気で口説く時にはこの女性を永遠に大切にしたいと思っていますし本当に永遠に大切にできればいいのになという願望も持っています。現実には一人の女性を同じテンションで愛し続けることは不可能なのですが、現実ではなく願望の方を基礎に社会のルールがつくられてしまったのです。結果的に多くの人が理想通りには生きられない自分に苦しみます。家庭を心から大切に思っていない自分に苦しみ、家族に心から大切に思われていないことを悲しみます。多くの人が不可能なルールに従って苦しみながら生きていくかわりに、犯罪が少なくて税を集めやすい社会をつくることができたのです。

時代は変わり、民主主義の世の中になりましたが社会のシステムは封建時代から大きくは変わっていません。そもそも「一人の異性を愛し続けるのが人間の正しい姿である」というフィクションは支配者のためには役に立ちますが、個人個人が幸せを追求する上では役に立ちません。それどころか自分本来の欲求とでっちあげられた正義との歪み(ひずみ)の中で苦しみながら生きていかねばなりません。
同様に、施政者が社会の秩序を保つために用いた「常識」「倫理」「道徳」などにも同様の側面があります。これらは時代が変わっても完全に意義を失うことはなく、秩序ある社会を維持するためには必要な物ではあります。しかし、これらもまた個人個人が幸せを追求するためには何ら役に立ちません。もしあなたがひたすら真面目に常識を守っても、その先に幸せが待っている可能性は極めて低いでしょう、なぜなら常識と幸せの間には最初から何の関係もないからです。常識は社会の秩序を維持するための道具であって、一人ひとりの人間を幸せにするための装置ではありません。

ヨーロッパの一部で人々が民主主義を選択してからすでに数百年がたちました。その間、社会は大きく変わり続けているにもかかわらず、現代の社会にあわせた「個々の幸せの追求のためのルールや常識、社会システム」はつくられていません。あいかわらず封建時代につくられた古い制度や古い常識を使い続けています。日本は明治維新あたりからヨーロッパの生活様式を取り入れましたが、その際にも封建時代につくられた古い常識やルールと民主国家として必要な新しい常識やルールとをごちゃまぜにして受け入れてしまいました。
残す必要のない制度は破壊して新しい制度をつくらねばならないのですが、古くて役に立っていないルールが「伝統」という価値あるものと勘違いされることが少なくないため今日まで維持されてしまっています。
当然のことですが、現代の社会には現代の社会特有の状況があり、その状況にあわせた新しい生活様式が必要となります。現代の社会で昔の社会のルールを使い続けるよりも、現代の社会に適したルールを新しくつくった方がよいことは疑う余地もありません。伝統を守ろうとする人は変化を避けたがりますが、残すべきものと変えるべきものを切り分けようともせずにすべて守ろうとするのは賢明な行為とは言えません。

現代の日本では、離婚した人も、バラバラに暮らす家族も、父親から認知されていない子供も、納税者としてを把握することができます。警察には科学的捜査で犯罪者を逮捕する能力があります。にもかかわらず国民はいまだに「一人の配偶者を愛し続けるのが人間の正しい姿である」とか「家族というのは仲睦まじく暮らすものでなくてはならない」といったフィクションを押しつけられながら生きています。今も封建時代に権力者の都合でつくられたルールを守り続けています。誰の幸せにもつながらないルールを伝統としてあるいは常識として維持してしまっているのです。
封建時代には個人の幸せよりも社会の安定をより重要なものとして社会の制度がつくられました。現代の社会でももちろん社会の安定は大切なことなのですが、一人ひとりの人間が幸せを追求する権利も重要のものとして認められつつあります。しかし個々の人間が自分の欲求や願望を叶えやすい社会にはなっていません。理想的な人間になり理想的な家族を獲得した時にしか幸せを感じられないのであれば、世の中の人間の大半が不幸だと感じねばなりません。我々はそろそろ現実的な幸せとはどういうことなのかを正直に見つめなおさなくてはいけませんし、個々人の幸せの追求に適した社会システムをつくらねばなりません。

あなたはどう思いますか?

 

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