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誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

意味のある人生と意味のない人生

「嫌々なにかをやらされる」という経験をまったくせずに生きている人はおそらく地上にひとりもいないのではないでしょうか。ワンマン経営者といわれるような人や歴史上の有名な独裁者、ただ王位を継承しただけのうすらボンヤリの裸の王様でも、子供の頃に何かしらやりたくもないことをやらされた経験くらいはあることでしょう。

それでもまあ、やりたくもないことをやらされた経験があるなんていうのはかなり幸運な人の話で、世の中の多くの人はやりたくもないことを日常的にやらされながら生きています。こんなことしても意味なんてないのになぁ、ばかばかしいなぁ、なんでこんなことしなくちゃいけないのかなぁ、オレはこんなことのために生まれてきたんじゃないんだけどなぁ、なんて思いながら。

 

一方で「人生には無駄なことなんて何もない。どんな苦痛も経験も、いつかどこかで何かの役に立つ」なんてことを言う人もいます。まぁそれも間違えてはいないのかもしれません。しかし全面的に正しいと賛成はしかねます。ただ、これに反論するのは難しいことです。

人生には無駄なことなんてないという主張をやっつけるためには、私のこの経験に関しては誰がどう考えても完全に意味がないはずだ、と言えれば手っ取り早いですよね。しかし誰がどう考えても完全に意味のない事というのは意外となかなか存在しません。それに比べて、どんなことにでも意味があるとこじつけるのはわりと簡単です。ただ、明らかなこじつけはやっぱりただのこじつけであって、本当だ人生には無駄なことなどないんだね、なんていう気持ちにはなれません。

結局のところ、人生で出会う様々な出来事をフォルダ分けすると「どう考えても意味がある」フォルダと「どう考えても意味がない」フォルダは空っぽで、すべてが「意味があるといえば意味があるけど意味がないといえば意味がない」フォルダにほうり込まれることになります。

ちょっと悲観的な気分の時に今までの自分の人生や現在の自分の生活をかえりみて、これは意味がない、これも意味がないとひとつひとつまるでキャベツみたいに剥がしていけば、最後には何も残りません。キャベツだったらおいしくないながらも芯くらいは残りますが、この場合には何も残りません。だから自分の人生は空っぽなのかというと、いくらなんでもそれは悲観的過ぎるんじゃないか、とも思います。どれも意味がないといえば意味がないけど意味があるといえば意味があるのですから。

 

まぁ、意味があるかどうかなんて考えずに生きていけばそれでいいのでしょうが、自分の人生にはまったく意味がないなぁと思いながら生きていくことはできません。やはり人間は自分の人生に意味があると思って生きていきたいものです。

山ほどある「意味があるといえば意味があるけど意味がないといえば意味がない」フォルダの中身から、気に入ったものや見栄えがよいものを選んでギュッと集めて自分の人生の意味を構築します。ときどきは日経平均の銘柄みたいに都合の悪いやつをそっとはずして流行に沿ったものに入れ替えます、まるで初めからそこにあったかのように。そんな人生になんて意味がないといえば意味がないですし意味があるといえば意味があります。

 

さて、あなたはどう思いますか?

 

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