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誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

「よりよい社会」の定義を考える

世の中を悪くしたいと思っている人はめったにいません。世の中のほとんどの人は、よりよい社会が実現されることを望んでいます。しかし世の中はなかなか変わりません。

自分の能力を平均より低いと感じている人や敗北を恐れる気持ちの強い人は結果の平等だけを求めます。こういった人達は公務員になろうとするか大きくて安定した企業に勤めようとします。そして、弱者を切り捨てるようなルールをなくすべきだ、貧しい人を救うべきだ、と考えます。彼等は自分の意見が絶対的に正しいと信じ込んでいます。

自分の能力を平均より高いと感じている人は機会の平等を求め、結果の不平等を認めるべきだと考えます。こういった人達は自分の能力をフルに発揮できる仕事につこうとします。そして、世の中のすべての人が完全に能力を発揮できる世界を理想の世界だと考えます。彼等は自分の意見が最も客観的で最も正しい意見だと思いこんでいます。

すでに多くの財産や権益あるいはそれらの相続権を持っている人は機会の不平等に目をつむるべきだと考えます。彼等は大きな社会の変革を望まず、できるだけ現状を維持することがあるべき姿だと考えます。そして自分の意見は伝統とか秩序とかを守るための最も理性的で正しい意見だと思いこんでいます。

多くの人は自分の立ち位置でしか物を考えません。自分の場所から見た世界こそが世界そのものだと信じています。
世の中を少しでも良くしたい、今よりも少しでも暮らしやすい社会を後の世代に残したいと本当に思う気持ちがあるのなら、まず「より良い社会とはどういう社会なのか」ということを客観的に考えることから始めなくていけません。

生産性の低い仕事しかしない人でも現状以上の給与が保証されるかわりに努力が報われない社会を求めるのか。誰にも邪魔されずに能力を発揮することができるかわりに敗れ去った人は最底辺で施しを受けて生きるしかないような社会を求めるのか。すでに既得権を持っている人だけが富みそれ以外の人の努力が報われない社会を求めるのか。
生産性の低い仕事しかしない人でも現状以上の給与が保証されるかわりに努力が報われない社会が立ち行かないことはすでに歴史が証明しています。誰にも邪魔されずに能力を発揮することができるかわりに敗れ去った人は最底辺で施しを受けて生きるしかないような社会が暮らしにくい社会であることも共通の認識になりつつあります。すでに既得権を持っている人だけが富みそれ以外の人の努力が報われない社会ではほとんど進歩も発展もしませんから、グローバル化した世界の中でそんなことをしていては二流国に転落してしまいます。
どれも良い選択ではありませんが、他の選択肢は今のところありません。ということは上記の三つを混ぜ合わせてバランスをとるしかありません。三つをどのくらいの割合で混ぜるのかを世の中全体で決めなくてはいけません。
個人的には「能力の高い人はあまり邪魔されずにそこそこ能力を発揮できて、生産性の低い仕事しかしない人でも初任給と同じくらいの給与を貰い続けることができて、既得権とか相続権とかはちょっとだけしか認められない」くらいがちょうど良いバランスだと思っています。

役に立たない人をクビにすることも減給することもできないルールのせいで、企業は新しい人材を積極的に雇うことができません。公務員も同様に解雇できないルールに守られている上にどんなに役に立たない人でも役に立っていないからという理由で給与を減らすことができません。結果、やる気のある優秀な人も勤務時間中に組合活動をしているようなどうしようもない人も同じ給与水準で働いています。
私は、競争原理を働かせれば何でもうまくいくとは思っているわけではありません。しかし現在の日本の制度はいわゆる悪平等といわれるべき部分があまりにも大きすぎるように感じられます。
現実として、日本では膨大な人数の地方公務員の給与が高どまりしているために国家財政は常に赤字です。既得権者の権利を守りすぎているために、新しい活力が生まれにくくなってしまっています。
すべての既得権を取り上げろとか、能力の低い従業員を簡単に解雇できるようにしろ、というのは行き過ぎだと思いますが、現状では既得権者の権利が守られすぎているように思います。

さて、あなたはどう思いますか?

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