誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

競争能力の低い男性は世の中に必要ないのか?

法が人を作るのではなく、人が法を作ります。法治国家で暮らす人は、法を守らなくてはいけませんし、法に反すれば法によって裁かれることになります。世の中が変化し、従来の法では対応できない状況が発生した時には、人々は法を変えることができます。しかし法を変えるには時間がかかり、現実に則さない法によって人を裁く期間が生じてしまうこともあります。
同様に、常識が人を作るのではなく、人々が社会の常識を作ります。人が法を改めることができるのと同様に人々は常識を改めることもできます。しかし常識を変えるには時間がかかります。多くの場合、法を改めるよりも常識を改めるためにはさらに長い時間が必要になります。

世の中が変化するスピードに比べて常識とか暗黙のルールとかが変化するスピードはずっと遅いので、現実に則さない常識とか暗黙のルールとかが人を苦しめる期間がうまれてしまいます。
たとえば、性差別を撤廃し雇用に関する男女の性差をなくそうという試みがあります。もう20年以上も前に男女の雇用機会を均等にするための法が作られましたが、常識とか暗黙のルールとかはいまだに変化しきっていません。
男性しかつけない職業はずいぶんと減ってきましたが、いまだに競争能力や闘争心を必要とする仕事は男性の仕事で慈しみや優しさが求められる仕事は女性の仕事だという暗黙のルールは消え去っていません。かつて男性の職場とされた分野には随分と女性の進出が進みましたが、かつて女性の仕事とされた看護や保育などの仕事にはなかなか男性が進出できていません。
これは、性差別の撤廃を訴えた組織の多くが女性の権利を訴える団体であったために、男性への性差別に対して鈍感だったことが原因だと考えられます。結果として、女性は「女らしさ」の枠の中で生きる権利も「女らしさ」の枠から出て自由に生きる権利も認められつつあります。一方で男性には「男らしさ」の枠の中で生きる権利は認められていますが、「男らしさ」の枠から出て生きる権利がほとんど認められていません。もちろん法律的には認められているのですが、常識とか暗黙のルールとかの方では今のところ認められていません。

男性の保育士は奇異の目で見られますし、専業主夫は憐れみの目で見られます。いずれ常識や暗黙のルールも変化していくのでしょうが、まだまだかなり時間がかかりそうです。
現状では、女性には「社会に出て働く」という選択も「家庭に入って専業主婦になる」という選択も認められていますが男性には「家庭に入って専業主夫になる」という選択は認められていません。結果として専業主夫になってしまう男性はいますが、専業主夫になる前提でお見合いをする男性はいませんし専業主夫になってくれる男性を探し求めている女性もなかなかいません。
こういった常識や暗黙のルールが改まらないかぎり、競争が苦手で稼ぎの少ない男性は女性から結婚相手としては相応しくないと見なされます。そして結果として、稼げない男性とほぼ同数の嫁げない女性が取り残されてしまうことになります。男性への性差別は、男性だけでなく女性にも被害を及ぼすわけです。(同様に、男性を「男らしさ」の枠に押し込めていることが結果として女性の社会進出を阻んでいるという側面もあるのですが、その話は長くなりますので興味のある人は電子書籍「愛というストレス、幸せという強迫(アマゾンKindleストア)」の方をご参照ください)

専業主婦に向いた性格の女性は経済力のある男性と結婚することさえできれば専業主婦になることができます。経済面の不足が理由でパートタイムで働くことがあったとしても、ほぼ彼女の希望通りの生活を送ることができます。
一方で専業主夫に向いた性格の男性はよほどの幸運に導かれないかぎり専業主夫にはなれません。彼等は「男らしい」男性としてフルタイムで働くことを強要されますし、そこから逃げ出せばニートとか引きこもりとかと呼ばれて蔑まれてしまいます。
心優しく正直で誠実な青年が競争能力に乏しいというだけで無能者扱いを受けるというのは、どう考えても間違えていると思うのですが…

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