誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

あなたが愛に満たされていない理由

世の中は「底の浅い偽善」であふれています。いっそ誰にもバレないくらいのよくできた偽善なら誰の迷惑にもならないのかもしれませんが、底の浅い偽善はすぐに矛盾に行きあたりますから多くの人の迷惑になります。浅い偽善が特に迷惑になるのは、偽善が破綻してもなお偽善的な姿勢を保とうとする時です。

 

繁華街で立ち止まって、街行く人々を眺めてみてください。行き交う人々の中に美男美女は少数で、美男美女とは言えない人の方が多いことがすぐに分かるはずです。それどころか美男美女の基準から大きくかけ離れている人も少なくありません。

異性との間に愛を育んでみたり、ちょっとしたきっかけで別れてみたり、すぐに別の異性との間に今度こそ真実の愛を見つたと言い出してみたり、と思ったらやっぱりすぐに別れてみたり、といったような作業から人は多少の幸せを感じることができます。たとえばそういった作業を好む恋愛体質の女性が「私って男運がないのよねぇ」といったことをつぶやく時、彼女には反省している様子はほとんど見て取れず、むしろそんな発言をしている自分に酔っているふしがあります。彼女等はその不毛な作業を幸せな出来事と受け止めているのでしょう。

 

恋愛市場の中で買ったり売ったり買われたりする人達は、その作業のむなしさに気づくまではそれなりに楽しそうに生きています。恋愛市場の中で買ったり売ったり買われたりする喜びも一時しのぎでしかありませんから、そういった作業を好む側の人達も遅かれ早かれ根本的な矛盾にぶちあたるのですが、この話は長くなりますのでここではふれません。(興味のある方は電子書籍「愛というストレス、幸せという強迫」をご参照ください。)

ここでは恋愛市場で相手にされない美男美女の基準から大きくはずれた人達のことをみていきましょう。彼等や彼女等はいかに自分を売ろうとしても買われることはなく、それならば勇気を出してこちらから買おうとしても相手にされません。

 

「愛というのは素晴らしいものだ」という浅い嘘があります。その嘘を信じてしまった人は当然「愛という素晴らしいもの」を手に入れようとします。しかし手に入れることができない人は現実にたくさん存在します。そして、どうしてもそれを手に入れられない人は自分を不幸だと思い始めてしまいます。「愛というのは素晴らしいものだ」と信じてしまうと「愛さえあれば幸せで、それはどうしても必要なものなのだ」ということになってしまいますし、同時に「どうしても必要な愛を手に入れられないということはとびきり不幸なことなのだ」ということになってしまうからです。

 

それでもなお、底の浅い偽善の側は「そんなあなたの不幸も素晴らしい愛の力で解決されるはずだ」とか「あなたもいつかきっとあなたにふさわしい相手と出会って愛を育むはずだ」とかと無責任なことを言い続けます。異性から一度も愛されないまま中年になってしまった人達がたくさん存在するという現実を無視して、どこまでも安っぽい偽善をふりかざすのです。

 

世の中には、親の愛を一度も受けずに施設で育つ人もいます。異性から一度も愛されずに中年になってしまった人もいます。そういう人達に向かって「愛っていうのは素晴らしいものですよ」と言うのが残酷なことなのだ、ということにそろそろ気づくべきではないでしょうか。

 

あなたはどう思いますか?

 

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