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誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

写真を見せて迷惑がられる人の特徴とその対策

たとえば旅行に行った時に撮った写真を人に見せることってありますよね。旅行以外にも人に写真を見てもらう機会は時々あります。そういう時に本当は迷惑がられていたら悲しいですし、相手が嫌がるような写真を見せるよりは相手が喜ぶような写真を見せたいという気持ちも誰にでもあると思います。では、どういう写真が嫌がられるのでしょうか?まず、見せられた時に不快な写真や面倒な写真とはどういうものなのかということから考えていきましょう。

 

遠くへ行った人に経験談を聞かせてもらうのは必ずしも嫌なことではありません。知らない文化、知らない習慣、知らないルール、そんな世界もあるんだなぁと思うのは楽しいものですよね。逆にそういう感覚のない旅行の話はとてもつまらないと感じてしまいます。

つまらない話の後に写真を見せられる時には、見る前からうんざりした気持ちになります。というのも、どんな写真が出てくるのか見なくても分かるからです。それはどうせ有名な景色や有名な史跡をバックにポーズを決めている写真なのです。そんな誰でもどこかで見たことあるようなものをあらためて見せてもらっても、何の感想もあるわけがありません。しかしそういった写真を撮りたがるタイプの人達はそうは思わないようです。それどころか写真を見せた相手は当然おどろいたり感動したりするものと思いこんでいます。こちらにも目の前の人との関係をいたずらに悪くしたくはないという気持ちがありますから、ついつい大げさに驚いて見せてしまいます。突然だれかに襟首を掴まれて「おまえ今いったい何に驚いたんだ?」と問いつめられたら、きっとしどろもどろになってしまうことでしょう。

こういったタイプの写真はただつまらないだけではなく不快でさえあります。たとえば札幌時計台の前で友人のAさんがピースサインをしている写真を見せられたとしましょう。当然、私はAさんを知っていますし札幌時計台の存在も知っています。たしかに私は札幌時計台を肉眼で見たことはありませんが、写真や映像で見たことは何度もあります。つまりこの写真には私にとって新しい情報がひとつもありません。それに、見ず知らずのカメラマンが撮った写真よりも友人のAさんが撮った写真の方が嬉しいと思う理由もありません。結局、この種の写真にはたったひとつの機能しかありません。それは「Aさんが札幌へ行ったという証明」です。しかしそもそも私はAさんが札幌へ行ったという話を一度も疑っていませんから、この証明を行う必要がありません。

不快感を感じる写真にはこの「証明」の機能が織り込まれている場合が多いのではないでしょうか?たとえばお正月に届く結婚しましたという内容の写真付きの年賀状。ありふれた婚礼衣装に身をつつみありふれた構図でありふれた配偶者とありふれたポーズをとった写真です。もし活字だけで結婚したことを報告されたとしてもこちらは本当に結婚したのか?と疑うつもりなどさらさらないのですが一方的に証明されてしまいます、元旦から。

女性が撮りたがる「かわいいものの写真」も不快です。彼女等は「私の普段の生活はかわいい雑貨やかわいい植物やかわいいハプニングがいっぱいのオシャレでかわいい生活なのよ」ということを証明したいだけで、見せられる側からするとそんなことは知ったこっちゃありません。それに、何も疑っていない相手に一方的に「自分の生活がミジメじゃない」ことを証明しようとしてしまうと、それこそ本当はミジメな生活をしているんじゃないかと疑われてしまうと思うのですが…

 

「証明」を含む写真の何に困るのかと言いますと、「証明」という作業がそこで完結しているからに他なりません。つまり、そんな写真を見せられても見せられた側はコメントしようがないわけです。

というわけで、人に写真を見せたいのであればコメントする余地のある写真を撮ることを心がけましょう。そして写真を撮った後には一枚一枚みなおして、「この写真を見た側はコメントする余地があるのかどうか」を考えてから人に見せるようにしましょう。

観光で札幌に行ったらガイドブックには載っていないこんなものを発見した、という時には是非とも写真を撮ってご友人に見せてあげてください。きっと話が広がります。もし結婚したついでにはっちゃけて二人でこんな写真を撮ってしまいました、という時には年賀状にしてみてください。お正月だからということで許してもらえるかもしれません。

 

さて、あなたはどう思いますか?

 

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