誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

右翼と左翼の類似点

まともな大人は「世の中にはいろいろな意見や考え方がある」ということを理解した上で、自分なりの考えとか自分なりの意見とかを持って生きています。世界がそういうまともな人ばかりだったらさぞ暮らしやすいのでしょうが、残念ながら世界には極端な意見を「唯一の正しい考え方」だと信じてしまう人達もいらっしゃいます。

 

ウヨクやサヨクの人達は議論を好みます。しかし彼等の議論はただ自分の意見を声高に述べるだけであって、正確には議論と呼べるものではありません。そもそも彼等には相手の意見を理解した上で論理的に話をする能力がありません。というのも彼等はひとつの思想に染まるとそれ以外の意見や考え方を受け入れることも理解することもできないのです。

なぜそんなことになってしまうのかを説明しましょう。まともな人間はみな頭の中に引き出しをたくさん持っています。「原則としては正しいけれど言っても意味がないこと」の引き出し、「他人からは理解されなくても自分の中では譲れないこと」の引き出し、「納得できないけど我慢するしかないこと」の引き出し、「まったく受け入れられないけど世の中にはこんな考え方の人もいるんだな」の引き出し、等々、いくつもの引き出しを持って生きています。一方で、極端な思想にどっぷり染まってしまうタイプの人達は頭の中に引き出しがひとつしかありません。

頭の中に引き出しがひとつしかない人はひとつの考えしか頭の中に収納することができません。そのため彼等は他人の意見を聞いた際に、自分の意見と一致するか一致しないかという分け方で分けていくことしかできません。ですからウヨク的な思想にどっぷり染まっている人は、自分の意見と一致する人は自分の味方で自分の意見と一致しない人はすべてサヨクだと判断します。同様にサヨク的な思想にどっぷり染まっている人も、自分の意見と一致する人は自分の味方で自分の意見と一致しない人はすべてウヨクだと判断します。彼等はいずれも、自分自身が頭の中に引き出しをひとつしか持っていないものだから、自分以外の人間もみんな引き出しをひとつしか持っていないものと思い込んでいます。彼等にはウヨクでもサヨクでもないエリアがめちゃくちゃ広いという当然のことが理解できません。そのため彼等は自分と意見が一致する人以外はすべてウヨク(もしくはサヨク)だと決めつけることになるわけです。つまり偶然ウヨク的な思想に染まったか偶然サヨク的な思想に染まったかという点以外に、ウヨクとサヨクに違いはありません。

 

あたりまえのことですが、学歴があっても優秀ではない人はたくさんいますし学歴がなくても優秀な人もたくさんいます。

ではなぜ企業が新卒採用の際に学歴を無視しないかというと、学歴の低い人よりも学歴の高い人を集めた方がその中に含まれている優秀な人の割合が高いからです。学歴の低い人をたくさん集めてその中から少数の優秀な人を探すよりは、学歴の高い人をたくさん集めてその中から優秀な人を探す方が効率が良いわけです。そこで多くの企業が、まず学歴で第一段階の選考を行い、その後に面接等で「学歴は高いが優秀ではない人」をハジこうとするわけです。(現実には面接で相手の能力を正確に計れるわけではありませんから、どこの企業にも「学歴は高いが優秀ではない人」が存在します。)

 

頭の中に引き出しがひとつしかないようなお世辞にも賢いとは言えない人にも高学歴の人はいます。彼等はなまじ学歴があるために自分があまり賢明な人間ではないということに気づいていません。

頭の中に引き出しがひとつしかなくて自分と意見が一致しない人はすべてサヨク(もしくはウヨク)だと決めつけるような人が「自分は優秀な人間だ」と思って生きている姿は周囲から見るとかなり滑稽なのですが、彼等はそれにはまったく気づきません。

 

引き出しをひとつしか持たずに生きているウヨクやサヨクの人達は世の中全体ではごく少数にすぎません。幸いなことに現実世界ではまともな大人が圧倒的多数なのですが、残念なことにインターネット上の世界ではウヨクやサヨクの人達の存在感が大きくなってしまいます。

まともな大人達はインターネット上で自分と異なる意見を見つけても「ああ、そういう意見もあるんだな」と思うだけですが、ウヨクやサヨクの人達はインターネット上で自分と異なる意見を見つけると黙っていられません。彼等はインターネット上で活発にご自分の意見を主張してまわりますから、実際の人数以上に存在感が大きくなってしまいます。

頭の中に引き出しをひとつしか持っていない彼等には自分と異なる意見や考え方を理解することができませんから、インターネット上で見つけた自分と異なる意見に対しても論理的に反論することができません。彼等は、自分と異なる意見を前にすると「ウヨクだ!(もしくはサヨクだ!)」と叫ぶか、ただ自分の主張を書き連ねるか、あるいは汚い言葉で罵倒するかしかできません。

そんな様子をまともな大人達は苦笑いで見守っています。頭の中に引き出しをひとつしか持たない人達に何を説明しても伝わりませんから、暖かい気持ちで包んであげるしかないわけです。

 

さて、あなたはどう思いますか?