誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

流行という面倒なものと無難につき合うために

世の中には流行というものがあります。流行にはごくまれに自然発生的に生まれるものもありますが、大半はそれぞれの業界の企業が利益を上げ続けるために戦略的に生み出し続けています。ですから、おしゃれな服やおしゃれな物を売って利益をあげようとする企業が存在し続けるかぎり服飾関係の流行は存在し続けることになります。おしゃれを人生の中で優先順位の高いものと考えていない人にとって流行というのは迷惑で面倒なものなのですが、残念ながらこれがなくなることは今後もありません。

というわけで今回はこの面倒な流行というやつとどうつき合っていけば被害を最小限に抑えることができるのかを考えていきたいと思います。

 

まず、流行になんて一切乗っからないというやり方があります。この生き方は恥ずかしくない立派な姿勢だと思います。ただ、流行に一切乗っからないようにするためには流行を知っておく必要が生じます。自分の個人的なこだわりで着ている服や使っている物が偶然にも今年の流行と一致してしまった場合には流行に乗っかっている人のように見えてしまいますし、その翌年には去年流行したものをまだ使っている人に見えてしまいます。流行に一切乗っからないようにするためには流行を知った上で、これは個人的なこだわりでずっと使っている物だけれど今年の流行と重なってしまっているから向こう数年は寝かしておこう、といった面倒な判断が必要になります。

流行を完全に無視してずっと自分のこだわりを貫き続けるというやり方もありますが、これは個人的なこだわりでずっと使っているもので流行に乗っかっているわけではないからといちいち説明してまわるのは大変ですしそうやって必死に説明している様はそれはそれでなかなか見苦しいものですからあまりよい選択とは思えません。

この流行には乗るがこの流行には乗らない、とその都度ひとつひとつ判断するというやり方も悪くありません。特に服飾業界が作る流行には時々いったい誰に向けているんだ?と疑問になるようなものも含まれていますから、自分に合う流行だけを取り入れるという考え方は間違えていません。ただこの場合には、今回の流行には乗っからないと決めた時期にどういった服や物を身につけるのか?という問題が発生します。このタイミングで流行とは関係のない個人的なこだわりみたいなことを言い出してしまいますと、次の流行に乗っかると決めた時に、この間までのあのこだわりはいったいどこへ行ってしまったのだ?という矛盾が生じます。そうならないためには、流行に乗っからないと決めた期間にはおしゃれになんてあんまり興味がないような様子を自ら演出するというまあまあ面倒な作業が必要になります。それでも面倒なことの総量は比較的少ないですから、もっともましなのかもしれません。

一方でおすすめできないのが、なんでもかんでも流行に乗っかるという生き方です。そんなことをしてしまいますと中身がカラッぽなのがバレてしまいますし、ダサいと思われたくなくて必死な感じがダサいなぁと思われてしまいますから注意しましょう。

 

ダサいと思われたくなくて必死な姿というのは見苦しいものです。多くの人は、見苦しいものに遭遇すると見てみぬフリをしてしまいます。結果、ダサいと思われたくなくて必死な人達は誰からも注意されないものだから自分が周囲からそう思われていることに気づかずに自分はおしゃれじゃない人よりも一段上にいるのだと思い込み続けます。

まぁ日本全体のことを考えますと、そういう作られた流行に簡単に影響されてしまうような騙されやすい人達がいてくれた方が物がたくさん売れて経済が活性化するわけですから、それはそれでいいのかなぁとも思いますが。

 

あなたは、どう思いますか?